いい意味の図々しさは大事
引きのある人になるために必要なことをお話します

学校法人常陽学園

理事長濵田良機HAMADA YOSHIKI

2024年に学校法人常陽学園(東京医療学院大学、専門学校東京医療学院、東京医療福祉専門学校)の理事長に就任した濵田良機理事長は、2023年度まで東京医療学院大学の学長を務めながら、整形外科医として臨床にも携わってきました。
今日までの歩みや学生の方々に伝えたい思いを伺いました。

医師を目指したきっかけは?

大きな出来事があったということではなく、単に親父が開業医だったんですよ。愛媛の実家の病院を継げといわれて、弟二人は拒否したんで、何も考えずに医学部に進学したんです。
幸いにも三重県立医科大学(現・三重大学医学部)と慈恵医大(東京慈恵会医科大学)に合格して、親父が「東京に行け」というので、慈恵医大に進学しました。註)当時の国立大学は一期校と二期校に分かれていて、それぞれ受験することができました。

浪人して岡山大学を受け直すことも少し頭をよぎったものの、お金出してくれるのは親父だから、親父のいうとおりに。まあ、どこを卒業しても、医者は医者なんですよ。
実は父親は慈恵医大卒だったから、息子が自分の後輩になるのが嬉しかったのかもしれません。
大学を卒業して整形外科を選びました。親父が内科なのに、整形外科を選んだので、親父は「帰ってこないかもしれない」と不安になったようです(笑)。

研修医になって慈恵医大の病院の整形外科医になったんだけど、神奈川県立厚木病院の整形外科として働いていたところ、聖マリアンナ医科大学に行けと慈恵医大の教授に言われて、2年後に医学部の講師になりました。
その後、山梨医科大学(現・山梨大学)から助教授(現・准教授)の話しがあったので、その前にフロリダ大学に海外の先端医療を学びに留学して、帰国後、山梨医科大学に着任したのが、39歳のときです。当時、医学部助教授のなかでは、日本で一番若いと言われました。
この山梨行きで、ついに親父は「あいつは帰って来ない」と諦めた。
愛媛では父が私がクリニックを開業できるように500坪くらいの土地を購入済みだったので、弟がその土地をもらえて喜んだと(笑)。
弟は医者にはならなかったけど、弟の子どもが二人とも医者になって。
ちなみにうちにも娘が二人いますが、二人とも医者になった。なんだかんだと親や親族の影響で職業を決めるものなんだなと感じます。

ご親族で総合病院ができるのではないですか。

やっぱり皆それぞれ考え方も違うし、主張が強いから(笑)。
愛媛は高校までの18年間で、結局Uターンしていません。
その後、東京で大学を含めて20年間(うちアメリカ留学が2年間)、その後、甲府が助教授から教授になって26年間と、甲府で過ごした時期が一番長かったから娘たちも甲州弁ですね。
私の高校の同級生が千葉のみつわ台病院の理事長だった関係で、病院長を頼まれて山梨の後に千葉でも過ごしました。でもやっぱり経営よりも臨床がしたくて。
山梨医科大学を辞める1年くらい前に、東京医療学院大学の前理事長(渡邊賢二前理事長)が、紹介で私に会いに来てくださって、学長で来てもらいたいという話がありました。
愛媛の同郷だったんですよ。
でもうちの大学は病院機能はないから、臨床ができない。それで最初断って、「年老いて手術ができなくなったら行きます」と答えたんです。
その後、山梨大学の教授を退任して72歳まで非常勤講師として医療に関わっていたんですが、もう手術はやらないほうがいいだろうと決めて、前理事長に連絡をとりました。

それで東京医療学院大学のリハビリテーション学科の教授になられたと。
でも最近まで娘さんの病院で臨床もされていたと聞きました。

やはり医者だから現場にいたい気持ちがあって、大学で教えながらも、娘のクリニックを週1で手伝ってたんですよ。
でもね、ダメなんですよ。何がダメって、態度が。
私は昔ながらの大学病院の医者ですから、上から目線だと娘に叱られました(笑)。
これをやっちゃダメとか、この薬を飲んでと、自分では普通の診療をしてきたつもりなんですが、口調が怖いと(笑)。
今は医師が診療する際も「触ってよろしいですか」と患者さんに聞くのがマナーと、娘に教わりました。
そんなこんなで、大学の教授から理事長になるタイミングで、娘のクリニックの手伝いも終わりにしました。

臨床にこだわられていたっていうのは、
どうしてでしょうか。

患者さんの診察をして、手術をして、病気を治して、患者さんから「ありがとうございました」って感謝されたら、やっぱりね、誰でも楽しいと思いますよ。
もちろん、医者になりたての頃は「手術を失敗したら」といった不安に駆られることもありましたが、患者さんが良くなる姿を見られるのが嬉しいから、だんだんと不安も払拭されます。
股関節を人工関節にした患者さんなんかは、本当に喜んでくれて、数十年経った今でも連絡をくれる方もいますね。

「挨拶」「勉強」「観察力」が大切と
学生たちに伝えたい

患者さんが良くなって感謝される喜びは、
東京医療学院大学、専門学校東京医療学院、
東京医療福祉専門学校で医療に携わる
学生の方々にも実感して欲しいことですね。
濵田理事長の医者人生のなかで心がけてきたことで、
学生たちに伝えたいことはありますか。

はい、それはね、
1番大切なのは挨拶。
2番目は、勉強すること。
3番目は、観察することです。
3番目はよくわからない人もいるかもしれませんが、例えば、駅で電車を待っているときなんかに人がいたら、歩き方や座り方を観察して「あの人は右足が悪いな」とか。人の姿形、それから顔色、 顔つきを観察するんです。
ただし、観察は性格的にできない人もいますが、勉強は性格に関係なくできる。だから先に勉強を挙げました。
医療の進歩は目覚ましいですからね。コロナ禍、学会の出席が難しかった期間もありますが、その間にも医療は進歩していますから、医療人になったからといって自分の今までの知識だけではやっていけません。
患者さんにより良い医療を届けるためにも、いくつになっても常に勉強です。
学生に教えるにしても、最新の知識は必要なので、もちろん僕も今でも勉強しています。
一方で、基礎がないのに最先端のことを学んでも理解はできない。基礎は面白くないと感じる学生も少なくはないと思いますが、教員もなんとか面白い話も盛り込みながら基礎を教えようと日々考えてますから、学生たちもついてきて欲しいですね。

濵田理事長の理事長室には、
学生の方々は自由に出入りして勉強したり、
質問していいと聞きました。
理事長の時代と今の学生たちの感覚は違うと思いますが、
いいところはどこでしょう?

職員は理事長と話すのにアポをとらないとダメだけど、学生はOKにしてるから、皆さんノックもせずに入ってきて、理事長室で勉強しています(笑)。
こんなふうに、いまの学生のいいところは、とにかく図々しいところですね(笑)。
いい図々しさはね、絶対に必要だと思うんですよ。
例えば、ノックしないで理事長室に入ってきても、自分の意見を率直に述べられるといった図々しさは、いい図々しさ。
一方で、人を不愉快にさせる図々しさはダメです。時間を守れないとか、こちらの問いかけに黙ってしまうとか。
もちろん、全く知識がない状態で自分の意見は言えません。だから勉強して自分の意見を述べられるようになって欲しい。
そのための勉強の場としても、理事長室を活用して欲しいと思います。ノックなしで入ってきてくれて構わないけど、勉強する前にひとこと
「先生、こんにちは」と挨拶してくれたら嬉しいし、それで理事長室の机や本棚を使って勉強するのは、いい図々しさだと思います。

高齢化社会が進み、より理学療法士、作業療法士、看護師といった
医療人材が必要になりますが、学生の方々に伝えたいことはありますか。

私もそうですが、年齢を重ねていくうちに筋肉の衰えが、絶対にあります。回復させるのに、薬を飲んだら戻るかといえば、戻りません。
やっぱりトレーニングしないとダメなんです。トレーニングって、簡単に言いますが、患者さんにとっては大変なんです。
私自身、腰の手術した時に理学療法士につきっきりでリハビリをしてもらったんですが、1週間で「もう嫌だ」って断りました。そのぐらいね、辛いんですよ、リハビリって。
朝と夕方に30回ずつ、筋肉強化するためのリハビリをと言われても、本当に辛かった。
辛いと感じている患者さんに、我慢させてやらせるのにはどうすればいいか。やっぱり指導する理学療法士や作業療法士の方々が、親切に優しく指導するしかないんです。
そうなってくると、結局「人柄」や「性格」、その人の持っているキャラクターが大事になってきますね。
先ほど言った、人を不快にさせない、いい図々しさを身につけているのも大事かもしれません。

全ての人が医療従事者になれる要素は持ってるんです。 ただ、それをうまく活かせるかどうか。もちろん看護師さんもそうです。
学生時代にテニスや遊びに打ち込む一方で、理学療法士の勉強はなかなか身が入らず、手がかかった学生がいました。
でも、会えばハキハキと挨拶もできる、いい図々しさを持っていたから、あんまり心配はしていませんでした。
彼はその後、国家試験に受かって就職をしたんですが、やっぱりいい方向に顔つきが変わりました。通常5年かかるそうですが、3年でリーダーにもなりました。

人生は人と人の相性で進んでいきますから、その人自身に引きがあったほうがいい。
今日は聞かれたので私自身の経歴の話もしてきましたが、自分が望んでいないことでも、熱望していないことでも、次のステップに進む話がくることがあります。
そこに進むか、進まないかを決めるのも、自分自身が引いてもらう人になることが大事です。
だから、「挨拶」「勉強」「観察力」を磨きながら、いい図々しさを持って、学生生活を楽しんで欲しいと思っています。

経歴

   
1969年 東京慈恵会医科大学医学部卒業
1970年 東京慈恵会医科大学整形外科研修医
1972年 東京慈恵会医科大学整形外科医師
1975年 神奈川県立厚木病院医師
1978年 聖マリアンナ医科大学整形外科講師
1980年 University of Floridaへ留学
1983年 山梨医科大学(現山梨大学)整形外科助教授
1999年 山梨医科大学整形外科教授
(現山梨大学大学院医学工学総合研究部整形外科講座)
2009年 医療法人社団創進会みつわ台総合病院病院長
2017年 東京医療学院大学保健医療学部
リハビリテーション学科教授
2018年 リハビリテーション学科長
2021年 副学長
2022年 学長
2024年 学校法人常陽学園 理事長

所属学会

  • 日本整形外科学会(名誉会員)
  • 日本整形外科バイオマテリアル学会(名誉会員)
  • 日本整形外科スポーツ学会(名誉会員)
  • 日本股関節学会(名誉会員)
  • 日本関節病学会(名誉会員)
  • 日本骨関節感染症学会(名誉会員)
  • 日本運動器再生移植学会(名誉会員)
  • 関東整形災害外科学会(名誉会員)
  • 東日本手外科学会(名誉会員)
  • 日本創外固定・骨延長学会(名誉会員)
  • 日本手の外科学会(特別会員)
  • 日本人工関節学会
  • 日本リハビリテーション学会